抱きしめてあげてください

大学四年の頃、塾の受付でアルバイトをしていた時に電話がかかってきて、子供がまだ家に帰らないという。
名簿を見ながら「はあ、こっちには来ていないですねえ」と言ったら、受付で一番偉い女の人が察して電話を代わってというので受話器を渡すと、

「〇〇君のお母さんでいらっしゃいますか?おたくはね、愛が足りないんですよ。私は受付で〇〇君の相談に乗ってあげていた者です。いいですか? 〇〇君が帰ってきたら抱きしめてあげてください」
と言ったのだった。

親は子供が帰らずに慌ててあちこちに電話をかけているというのに、そりゃねーだろと思ったら、案の定口論になり、受付の偉い女の人は、
「いーえ!聞こえてますか?抱きしめてあげてください!!!それだけでいいんです!!!それができないんですか!!!!!抱きしめるだけですよ!!!!できないなら親失格です!!!!」
と大声でキレ、勝ち誇ったように電話を切った。

あれからもう十年が経つけれど、「抱きしめてあげてください!!!!」っていう絶叫が耳に残っている。

私は親と口論した思い出しかない。それはお互いに自分のことをわかってほしかったからで、解決方法が抱きしめる、みたいなシンプルな家庭に生まれてみたかった気がしなくもない。

受付の偉い女の人は、本当に意地が悪いらしく、社員さんといつもケンカしていた。
私は取るに足らない存在だったので意地悪をされたことはなかったが、バイトに行くと双方の恨みつらみをエンドレスで聞かされたし、仲が悪いので双方の伝言係になったりもした。

だけど一つだけ、塾の受付で働く女性は全員「ハケンの品格」というドラマが大好きで、そのドラマから真剣に、いろいろなことを学ぼうとしていた。
その内容について話すときは、みんなが一時休戦という感じで、低いトーンで感想を言い合ったり、胸がすっとしたわ、などと言っているのが印象的だった。

この間ググったら、その塾はニュースになるような感じの、最悪な潰れ方をしていた。